変なタイトルかと思われるかもしれませんが、ハックしてみると様々な変化が自分自身に起こってくると思います。僕は医者でもなければ科学者でもないですし、脳科学のPhDを取得しているわけでもありませんが、日々の生活の中で、これってこういうことなんじゃないかなと感じながら意識してみると、自然と見えてくるものがあるわけです。
 
十代から二十代半ばまでは、とにかく短気も短気でして、イライラが止まず、止んでいても些細な事で怒ったり、人に攻撃的になるタイプでした。大抵は、一度怒りが沸くとなかなか治まることはなく、むしろ自分で勝手に蒸し返しては、以前にも増してイライラすることも多かったように記憶しています。自分では収拾がつかないので周囲に当たり散らすこともしばしばあり、手に負えません。さすがに手が出ることは二十代に入ってからはありませんが、喧嘩っ早かった学生時代は、同級生や寮生の仲間に迷惑をかけてしまっていました。未だに友達でいてくれる皆には感謝ですし、有難い限りです。
 
二十代半ばからこのままでは駄目だ!と感じ始め、所謂"大人“になろうというかなり遅めの決心をするわけです。しかし、決心してもそう容易には変われるわけもなく、起業した29歳からの三十代の大半も短気がなかなか直らず、自分自身でも試行錯誤の日々でした。
 
正直、その間は自分を制御することに時間を費やしていたことは否定できません。若い時からエネルギーが有り余っていましたし、そのやり場もなく、それこそ制御の仕方も知らず、かと言ってじっとするような若者でもなかったので、やり場のないジレンマとの闘いでした。
 
霧が晴れたのは、その自分の制御をしようとする事  自体を止めてみようと考え始めた頃からでした。イライラしても幸せな気持ちになることは少なかったことを振り返った時に、何がその原因を根本的に生み出しているのだろうと考え、つまるところ自分の脳みそじゃないか!と気付きます。イライラや喜びの感情が増すのは、自分の脳が増幅機の役割を果たし、増やし続け、感情を必要以上の規模にしてしまっていました。
 
しかし、そのことが分かった途端に自分の中のモヤモヤがみるみると晴れていくわけですから、こんな気持ちの良いことはありません。もう一つの気付きは、過去の自分は不満のほとんどを自分以外のせいにしていたということです。人のせい、周囲のせい、環境のせい、仕組みのせいなどなど、自分ではどうしようもないものに八つ当たりをしていたわけです。
 
不安や怒りなど感情と名の付くものの起伏が良い意味で穏やかになり、自分の気持ちにも素直になれるわけです。聞こえは悪いですが、脳みそが働く傾向を理解さえしてしまえば、気がとても楽になりますし、視界もクリアになっていくのです。以前の自分にはなかった不思議な感覚です。
 
自覚のなかった部分にも気付きが増えていきますし、人は人、自分は自分というスタンスが無理なくでき、生き方の芯の部分もブレることもなく、これまで欲していた多くのモノなども、老子のいうところの「足るを知る」ことで不必要だと気付け、今ではいつポクッと逝っても悔いがほとんど残らないだろうなと思える状態です。ほぼほぼ自分自身が一種の不思議なエンターテインメントと感じますし、人と違っていて面白いさえ思います。脳をハックし、心の声に耳を傾け、いつも「自分に喜びが芽生えるかどうか」を問いながら行動判断できると、人生の幸福度も変わってくるのではないでしょうか。