起業当初頻繁に聞かれた自分の生い立ちや何故起業したのかなどの話をここ最近もするようになっているなと気付きました。会社設立当初は様々なメディア関係の方々から質問を受けることが多かったのですが、今はそのような目新しさはないのでメディアから聞かれることはあまりありません。地方の田舎町ですから、メディアの数が少ないのも関係していると思います。現在は個人の方からの同様の質問が増えてきています。その理由はまだはっきりとわかりませんが、私個人の行動に関係してるのかもしれません。その質問から個人が個人の幸せな生き方を以前よりも考えるような世の中になってきているのかなとも感じています。

これまで組織の中で働いてきた人も改めて自分を見つめなおす動機が発生しているのかもしれません。それは何も会社という組織だけではなく、家族などの組織においてもそうです。とにかく2人以上の集団の中で一日の多くの時間を過ごしている場合、現状に満足しているのかそうでないのかを以前にも増して考えるようになっている気がしています。自身を見つめなおすことをしないで自分の死を迎えることは私はしたくないので、見つめなおすことには大いに賛成ですが、見つめなおし始めると悩みへと変化していっているケースも多いようです。

自分を見つめなおすと困惑することが増えるのも分かります。私のケースでお話すると、見つめなおすとまず最初に何をするかというと、自分はどうしてこんなことを考えるのだろうと軽く考え始め、次に似たような考えの人を探し始めました。インターネットで専門家の文章を読んだり、YouTubeで話を聞いたり、本を読んだりと手当たり次第情報を得ようとしました。同時に周囲の人にも似た考えの人を探し始めました。まさにその情報収集中の方々が冒頭にお話した私の生い立ちや生き方を聞いてくる方々の行動と似ています。

ただし、私の場合そうした情報収集は分かった気になるのですが、断片的な満たされしかなく根本的な自分自身の理解にはなかなか到達しないわけです。そこから再度模索するわけですが、私に至ってはそこから外の声を一旦遮断して自分を見つめなおすことに集中した期間がありました。その過程で身体に取り込む食べ物について見つめなおしたり、睡眠を見直してみたりと時間とエネルギーの多くを自分の為に費やしてみたわけです。外からの情報ではなく、自分が自然に摂取したいと感じる食べ物を食べ、それまでに調べた脳の特徴を大まかに理解した上での自分の制御を行ってみたりと自分に対する人体実験のようなものをするわけです。今もそれは続いていますが、当時よりはストイックさがなくなっています。別の表現をすると削ぎ落して残った習慣が今の行動の元になっているという方が正しいかもしれません。

最近そのストイックさが緩んできたと同じタイミングで、私の生い立ちや起業の話、生き方などを唐突に聞かれるようになったので、何か因果関係があるのだろうなと感じていますし、特に利害関係なく質問されるのでその現象を面白がっている自分がいます。そして引きこもりではなく、情報の収集と遮断、そこからの自己分析と頭に頼らず心の声に耳を傾けてみることに大幅な時間を割いてみることの重要性を私は身をもって体感しました。人は外見ではわかりませんが、みんな必死に生きているのだと思います。穏やかに生きていきたいと皆が願っているのであれば、私の方法もひとつの発見方法になるかもしれません。人体実験の結果自分以外を見続けても、自分の内面改善は難しいとは感じています。

コメント

心の声に耳を傾ける時間が必要だと再認識しました。

— 石田英昭