気付いていらっしゃる方も多いと思いますが、生きる上で大切なことは年齢を重ねなければ体得できない、または理解できないなんて実はあまりないのではないかということです。 

人生とは何なのか、生きていくこととはどういうことなのか、そもそも自分はどうしていきたいのか、人と接することは大切なのか、ひとりでも生きていけるのか、友達は必要なのか、どうしていじめられるのか、子供は親の言いなりにならなければならないのか、自分の好きな事だけをして生きていくことは可能なのか、なぜ人の悪口ばかりをいう人がいるのか、なぜ愚痴ばかりを言う人がいるのか、お金はそんなに大切なのか、会社勤めしないと大人として認められないのか、やりたいことが見つからないと駄目人間なのか、など若くても浮かんでくる疑問が数多くあるはずです。 
若い人であってもこうしたことは早めに気付いてその後の人生をより豊かなものにしていくことは可能です。
蓋を開けてみると、現実社会では若年層が生き辛い世の中になっていることは周知の事実になってしまっています。厚生労働省によると、15歳から39歳までの死因の一位が自殺なのは悲しいことです。14歳以下であっても、自殺は死因の二位となっているわけですし、もう20年もこんな状態が続いていること自体が尋常じゃありません。これは紛れもない事実ですし、先延ばしにすべきでない大切な案件です。
では、これを防いでいくにはどうしたら良いのか。よく言われる話としては、社会の問題だから社会全体で取り組むべきだとか、全ては大人の責任だから大人が若年層の住みやすい世界を作らなければならないといった内容が多いように感じます。それはその通りなのですが、それを大人が言ったとしても、やはり具体的な解決策に至っていない時点で、早急な解決にはならないでしょう。 
しかし大人が意識しなくては何も始まらないのも事実。 それに若年層の子達も本来備わっている大人な考え方を呼び覚ます接し方をメディアや学校、家庭内で行う必要があると感じています。
子供だからこうだろう!という大人の思い込みが過保護、甘やかし、ねじ曲がった大人の世界の刷り込みに繋がってしまい、子供はそれでいいんだ!と勘違いしてしまっていると考えています。 実際は大人にならなければならないのは、子供ではなく、大人の方だと思います。幼稚な大人の量産が今の若年層の悲しい状況を生み出していると言っても過言ではない気がします。
日本は極端に同調圧力を意識し、空気を察することがコミュニティの中で大切だと幼い頃から刷り込んでいますが、ひとりひとり違っていて当たり前なのです。頭で分かっていても、違っていて当たり前を腑に落としこんでいる大人がどの程度いるでしょうか。
普通そうでしょ!というセリフを言われても、それはその人の基準であって、相手の普通ではない可能性もあります。その無意識の押し付けが若年層にとって生き辛い世の中に導いている気がしてなりません。 まだまだ子供なんだからと決めつける大人を、実は子供達は内心、子供なのはそっちだなと冷静に見ているのではないでしょうか。
大人な考えは年齢なんて関係ありません。気付いたもの勝ちです。子供に接している大人たちが、きちんと子供の真意を理解し、会話をし、子供の方から学ぶことが多いなと自覚し、謙虚になって初めて、痛ましい自殺は減るのではないでしょうか。