会社のヨーロッパ進出と聞けば聞こえはいいですが、なかなか多くの問題が巨大隕石のように日々降り注いでくると聞けば、皆さんはチャレンジしようと思うでしょうか。 
しかも日本では経験しえなかった事例ばかりが起こったとしたら、そしてこれからの展開が今の仕事の何倍も大きな事業に膨れ上がろうとしていて、当然ながら人・物・金も何倍も必要になり、責任が目を丸くするぐらいの大きさだとしたら、皆さんならどんな心境でしょうか。
 
今私が置かれている状況がまさにこれなのです。 むしろ自分でこの状況に身を置いたと記した方が正解かもしれません。 
 
まずは一歩踏み出す事から何事も始まりますし、やってみないと分からないばかりか、やってもいないことを話してみても時間が勿体ないので、未経験からくる怖さがあったとしてもそこを乗り越えて一歩踏み出すことが大事かなと思います。
 
では実際に踏み出してみてから、何をするかというと、これは完全に私のパターンではありますが、観察します。ひたすら観察します。観察中は、自分の固定概念をなるべく排除しながら、事の成り行きを見守ります。 観察後に本人にどうしていきたいのかをアドバイスのように伝えていき、私が考える正しさではなく、本人が想い描く姿を引き出します。
 
分かりすい例を挙げると、とある新人スタッフに店舗を任せるとします。 任された方も、任した方も、当然大きな責任が伴います。新人スタッフは何をしたら良いのか分からないので、手探りで試行錯誤し始めます。私は私で、経験済みのことなので、ああした方がいいとか、こうした方がいいとか頭に浮かぶわけです。
 
しかし、こういった場面での私の関心は、思い通りに動いてくれる事ではなく、この人ならどういう動きや判断をして、良い結果を導き出すのだろうという事です。やはりここは言いたいことを飲み込み、観察することに徹することです。
 
何が正しい、正しくないというのは、あくまで自分の主観の話なので、そこばかりに囚われていると、視野が狭いままになってしまいます。 「常識的に考えて」、というのも、主観が強いセリフですし、「普通ですから!」の普通も、その人にとっての普通ですから、自分の色眼鏡で世界を見ている証のセリフのひとつではないでしょうか。
 
では結局のところ、何をどうしたらいいのかは、大雑把な言い方をすれば、自分の好きなようにすればいいということではないでしょうか。 多様性を受け入れ、面白がり、可能性へ探求心を失わず、死ぬまで学べる楽しさを噛みしめて日々生きていくと、今まで恐かった新しい事への挑戦が、ワクワクドキドキのものに変化していることに気付くかもしれません。
 
スタッフへの口癖ですが。「結局、自分はどうしたいの?」 
そこに尽きるのではないかなと思いますし、だいたいどうしたいのかは決まっているはずです。