本当かウソか、世の中には自分にそっくりな人が三人いると聞いたことがあります。 裏返せば、それぐらいみんなの容姿が違うということになります。 親兄弟とは性格は違う し、食べ物の好みや趣味が違いますよね。 クラスメイトに仮に三十人いたら、三十通りの 私生活があり、三十通りの夢があり、三十通りの将来が待っているわけですよね。
もし幼い頃から今挙げたような、人との違いを個人個人が楽しめ、相手もまた相手の個性 を楽しみ、人との違いをお互いが尊重できたら素敵だと思いませんか。 私は十五歳からオーストラリアの全寮制学校に入学して過ごしましたが、何を隠そう入学 当時は全生徒の九十パーセントが先住民のアボリジニーでした。 日本人一人の私が圧倒的 なマイナーの層ですし、むしろ私はアボリジニーや、パプアニューギニアとの国境付近の島々の 友達が沢山作ることができ、おかげで彼らの歴史や迫害、文化や部族間の興味深い話も得 ることができました。
日本人とは見た目も違うことは明らかですが、褐色の肌の彼ら彼女 ら一人一人がそもそも違う個性を持ち、自由に生きている様子は十代の私には衝擊以外 の何物でもありませんでした。 それと同じぐらいの衝撃を受けたのは、それから十年後、日本に帰ってきたときのことで、 しかもその衝撃は未だに続いています。
それは今までの私の感覚とは真逆で、個性的でいることが、いかに日本ではマイナスな要素として受け入れられているか、ということ。 人と違う好み、服装、思想、宗教、挙げればキリがありませんが、全て人それぞれでいいはずが、なぜか日本では同じものをこの好む傾向がとても強いように感じます。
レストランに行けば、他の人と同じメニューを頼みますし、一つのブランドが流行ると挙って大 勢がそのブランドを身に着けるわけです。 皆と同じでなければ学校ではいじめの対象になっ てしまう状況にすらなっているそうで、そうなってしまう教育や風潮に疑問を感じます。 職業にしても、もっと自由に選べる環境があればいいのに、医者になりなさい、公務員が安定 していていいだろう、大企業はなんだかんだ言って安定で高収入だろうなど、職業に無知な 子供に対するアドバイスがそもそも子供の個性を無視した考えに基づいて与えられているの です。
大人の都合を押し付け過ぎると、子供はそれが当たり前となり、そのまま大人に なり、習ったままを次の代にも伝えてしまう。 それを続けた結果の今の日本を見ても、それが良かったかどうかは火を見るよりも明ら か。 そろそろ大人側が目を覚ました方がいいんじゃないかな。