6月末迄、3か月間焙煎の勉強にきていた他社の若い研修生がいました。全くの初心者からのスタートでしたし、3か月という割と長い期間での研修でしたので、可能な限りの伝えたい事柄をしっかりと伝えたつもりです。コーヒーの話はもちろんの事、若い二十代だから知っておいて損はしない話もさせてもらいました。トータル100時間では収まらない程の会話量だったと思いますので、頭はパンパンになったはずです。
その会話の中に、初心を忘れない方がいいという内容もありました。彼と話す過程で昔弊社で働いてくれていた男性スタッフのことを思い出したり、あの頃と今との教え方の違いに自分で気付いたりと、自分にとっても見つめ直せる良い機会でもありました。実際、現在では社内で私が感情的になる事は滅多になく、穏やかでいられるのもスタッフ達が自立して率先して動いてくれているおかげなことは大きい要素ですし、私も年齢を重ねていくうちに穏やかになったのか、ある程度寛容に物事を見れるようになったのか、はたまた注意する時の口調も柔らかくなったのかは分かりませんが、とにかくスタッフの事で悩む事が本当に減りました。ほぼ無いに等しいかもしれません。
これは経営者にとっては幸せな状況であり、経営者が行わなければならない源泉を見つけて引き寄せてくることに専念できるわけですから、17年の時間がかかったとは言え、社長業が出来る事が今楽しくもあり、スタッフ全員と支えて下さるお客様へより一層感謝の気持ちが湧いてもきます。また同時に、創業当時の事も思い出され、あの頃どんな働き方をしていたのか、お客様との接点の持ち方はどうだったのかなど、今と比較しても改善した方が良いと思われることが度々浮上し、そうした改善策も今のスタッフ達と忖度一切なく話し合える間柄というのも、お互いにとって動きやすいなと思うわけです。
社内のそうした様子を眺めますと、根底にお互い感謝しあっているという部分が見受けられます。強制的にありがとうと言うわけでもなく、自発的に自然に感情が芽生える時に出る「有難う」こそ気持ちの良い感謝の仕方だなと感じます。他人から言われるでもなく、ルールもなく、ただただ自分が伝えたいから伝えるシンプルな事こそ人としての核になるのではないでしょうか。逆に有難うさえ自然に言えない人は、こうした輪の中では居場所がなくなり、去る事になります。また、私が感謝しなさい!と強要したとたんに組織がギクシャクするでしょうし、スタッフは言う事も聞かなくなります。人に何事でも強要する人は正直嫌われるでしょうね。おまけに当の本人が感謝もしない人であれば、似た者同士の友達は出来ても、感謝を核としている人達からは嫌われ、離れていくと思われます。
研修生にも伝えましたが、世の中非常にシンプルに出来ていて、誰しも完璧ではなく、ひとりでは生きていけない社会で生きるわけですから、人に対して自然に感謝できたらいいですよね。その感謝の気持ちを改めて考える機会を自分で作りだすことが出来るのは、何事においても、いつの段階であっても、初心に帰るというところなのではないかなと思うわけです。コーヒーの事で私が初心に帰る良い機会が生産国への訪問であり、17年経った今、改めてそうした気持ちで生産国へ赴こうと思います。今月から2か月半程起業当初を思い出しながら中南米で過ごします。