人はやらない理由を考えるのは得意です。でも、やるのに理由はいらない。やるだけ。もうスタッフ達は耳だこかもしれないですが、何度でも言います。言われて理解している気でいるのと、本当に腑に落ちて心底理解出来ているのとでは、雲泥の差がある。
 
こんな大変な疫病が世界中で蔓延しても、大河の流れに身を任せている人がこんなにも多くいることかと驚かされます。 
 
まず、国や組織に頼りすぎも禁物だと分かり始めた方もいらっしゃるでしょう。頼りすぎていることさえ気付いていない人こそ、こういうパンデミックが起こると、国が悪い、県が悪い、学校が悪い、営業している店が悪い、あの感染者が悪いと騒ぎ立ててしまいます。 
 
個人を軸に、他に頼りすぎない人は自立も出来ているので、そもそも人の悪口や愚痴も言わない、もしくは非常に少ないです。何故ならそれを言っても何も改善しないことを知っているからでしょう。 
 
さて、今回はパンデミックの話よりも、子供への投資をしなければならないという話です。
しかし、こういう事態が発生すると、いかに我々大人が出来ることが少ないことか、そしてそれに対応するべき能力の欠如、そしてひとりひとりの判断能力の低下が露呈してしまいました。 備えあれば憂いなしと言うじゃないですか。何も装備だけの話ではありません。 認識面、意識面や知識面でも準備しておけばいいと思います。人の話ばかりに耳を傾けて、ふむふむと言っているばかりでは堂々巡り。 
 
自分も含め、大人が出来ることは何か。そしてなぜ大人が考えなければならないのか。そこから意識していかなければいけません。未来は子供達が作っていくものです。
今の子供達に我々が伝えていくことが、これから来るの未来に直結していくのです。悪い未来があるとすれば、今の我々の責任だということです。当たり前の話ですが、果たして親の身でありながら、どこまで子供に投資しているでしょうか。
 
今の世の中は混沌としたもので、分かっちゃいるけど、情けない国になってしまったと思うのであれば、それは我々が子供だった頃には、それは着々と準備がされていたということになります。過去の子供の頃に戻れるわけもなく、戻ったところで子供ですから、その頃の大人に何を言っても通じないでしょう。世代を重ねながら、良くも悪くも取り返しのつかない事をしてきて今という現実があるわけです。では改善出来るタイミングはいつなんだろうと考えれば、まさに「今」ということになります。
 
私はコーヒーの買付けをする上で、とにかく持続可能性を重視しています。持続可能性を意識することで、農家にも、環境にも、仲間や家族にも意識が向きますし、何よりこれからの未来を切り開く子供達のことを想います。 
 
今の現実社会が過去の人達から作られてきたもので、今となっては取り返しがつかないのであれば、今できることは子供達に未来を託すことしか出来ないのです。そして少しでも子供達が大人になる頃により良い社会と環境が存在しますようにと願いながら、今我々に出来ることをしていくしかないのです。 
 
幼い子や孫がいるのであれば、今が人生で大切な時期ということに気付き、投資してあげましょう。このことが腑に落ちれば、じっとしている時間も勿体ないと思うはずです。行動に理由も理屈も根拠もいらないのです。将来、感謝されたいという気持ちもいりませんよ。 機会を作ってあげましょうよ。