この様な形で文章を書き始めて久しく経ちますが、これは自分にとっての記録のようなものと言ってもいいです。または一緒に働く従業員へのメッセージも多分に含まれている要素も確かにあります。どちらにしても自分の経験してきていることを言語化して綴っているわけです。読んでいる人が少ないとは言え、世の中にパブリッシュしているわけですから、読みてによっての受け取り方が様々なのは理解できます。中には何を偉そうに書いて!と思う人もいるでしょうし、共感できると感じる方もいらっしゃるかもしれません。共感出来ても自分の中に落とし込みたいのに落とし込めていない方もいらっしゃるかもしれませんし、そもそもこのレターの内容に関心がない方もおられることでしょう。

最近私がコツコツと取組んでいる新しいミルトンコーヒーロースタリーの通販サイト制作の過程で、このオーナーレターの移設作業もありました。一つ一つ大雑把ですが読み返してみると、その時に感じていた感情や状況が鮮明に思い出され、毎月コツコツと綴っていて良かったなと思えたのです。今回はたまたま過去記事を読み返す機会があったので振り返りましたが、普段は全く読み返しません。振り返ることを主としているのではなく、その瞬間の自分の内部の記録として書いていくことが目的となっています。

これまで書いてきた内容に瞑想の話や人と話すことが大事ということを言ってきましたが、突き詰めれば突き詰めるほど、アウトプットすることの大切さが身に沁みます。大衆に公開することのない自分だけの日記を書いている人も一種のアウトプットをしていることになりますし、更に深堀りして考える癖を付けていくことで、より鮮明に自分という人を理解できるようになっていきます。

書いて解決できるライトな問題もあるかもしれませんが、人と話すことで更に自分の理解を話しながら解決していくこともできます。よく人に説明しながら、あれ、、、自分はもしかしたら勘違いしていたかもしれないな!と感じたり、そうそう、、、自分が知りたかったことはそういう事だったんだよ!と自分が話している最中に気付いてしまったりしませんか。こうした気付きが多ければ多いほど自分の想いや考え、感情なども整理整頓しながら理解することが出来ていくと感じています。

ただ、私で言えば自分ひとりでどうしてだろうと考えたり、話す・書くというアウトプットをする前段階でもあることを行なっています。それが「瞑想」です。 これを取り入れることで、自分の内部が穏やかに理路整然となり、心身共にスッキリとした状態になります。その状態で話す・書く・考えるという行為ではより自分にとって無理のない選択が導きだせるように感じます。生活していると様々な感情に苛まれて疲れてしまう場面が多数あると思いますが、実はその思い込みの感情も、俯瞰出来ると「あれ?そこまで大きな問題でもなかったな」とか、「大きな問題だけど、そこまで落ち込む必要がなかったな。むしろ解決できることかもしれない!」と前向きになりやすくなります。

いつまで経っても自分の感情のせいで平穏を手に入れられない場合、大体が原因は自分以外のせいだと決めつけ、そう思ってる以上解決できるわけもなく、いつまでも悩み続ける負のループ沼にはまっているのです。一度でも感情を分離する癖が付けば、次々と困難が降り注いできても落ち着いて一つ一つ対処でき、自分が置かれている状況下でも見違えるほど気分が楽になるのではないでしょうか。