理想とは考えうる最も完全なものと辞書にあります。自分とかけ離れていると認識できるものが、理想となり目標になるのでしょう。
 
幼い頃は大工になりたい、獣医になりたいと夢を描いていましたし、十代後半は大人たちを見る機会も増えてくるので、お金を持っている人達が何となく偉いようにも感じていましたし、その様子を見ていればお金持ちになりたいとか、裕福になりたいと理想を思い描くわけです。 
描いたからと言って、実際には大工や獣医になれるわけではなく、お金持ちになれるわけでもありません。 理想を抱いても現実化するにはその間のギャップを経験で埋めていく作業がいるわけですが、思い描いているだけの人も多いかもしれません。 
最初から出来るわけないと諦めている場合もあるでしょう。気持ちは諦めていなくとも、然程、日常生活の中では意識さえしていない人もいるかもしれません。行動をした結果の成功や失敗を面倒くさいと感じ、人任せにしてしまう人もいるかもしれません。
何であれ、理想とは完全体を指すので、達成できるものは理想ではないことになります。 それでも理想を無意識に自分の中に作り出しては、現在の自分とのギャップを目の当たりにし、もがく人もいるでしょう。 きっと自分は出来ると言い聞かせては、理想とのギャップに苦しむわけです。 行動せずに理想論を多く語る人や、語らなくても自分の中に理想像を
描きながらもがいている人の中で苦しんでいる人がいるのなら、一度理想を描くこと自体をやめてしまうことをお勧めしています。 気分が結構スッキリすると思います。
私は自分自身のことを面白い人生を送る変わった奴だと思っていますが、自分自身を信じているわけでもありませんし、理想像を描いているわけでもありません。信じることも、信じないことも私には無意味に感じられますし、自分を信じなさいって良く言われますが、信じることに時間を割くなら、自分を知る事に時間を割いたほうが良さそうです。
いつかのオーナーブログにも書きましたが、探求心と未来の予想をする想像力、そこに向かう為の試行錯誤が、今後ますます求められる時代にはなってきています。 
人間が他の動物と違うのは、脳の働きです。その時その時の感覚で脳が判断して行動に移している多くの動物に比べ、人間は蓄積された記憶を元に次の展開を予想しながら行動出来る生き物です。 いくら理想を描いても経験の蓄積を怠れば、身体は経験の記憶がないので、未来予想が出来ないわけです。 行き当たりばったりの行動は人間という折角の「殻」を有効活用出来ていない証かもしれません。
そういった意味では、赤ちゃんや幼児のように探求心を持ち、失敗を恐れず、日々果敢にチャレンジしていく様は、本来の人間の素の姿かもしれませんね。 
大人も見習わなくては。