自己認識とは何かを話す機会がよくあります。自己認識し、自立することが延いては他者への思いやりだったり、家庭内や社内、社会の中で役に立てる人間になるきっかけになると私は考えておりまして、日本を含め先進国の多くが自立を促さない教育をもう何年も続け、自分自身の事でさえ深く考えられない状態に陥っているわけです。
私は子供の頃からやりたい事しか、ほぼしてこなかったですが、その過程で度々自分に問いかける場面がありました。それって自分の心も同意しているの?と。難しい言い方をすると、潜在意識に問いかけていたという事です。子供や従業員からの学びも更に増え、活かす事で自分が自然体でいれる感覚も分かり、考え方も生き方も変化し、年を重ねるごとに物事がスムーズに進むようになってきました。
子供達は大人を見て育ちます。それは誰も疑わないでしょう。 その大人が自分の事をあまり理解しなくても良いと考えながら行動すれば、子供はそれをお手本に学習します。例えば人の悪口を無意識に発していると、子供も悪口を問題ないと学習します。感受性の高い幼少期の子供には、特に大人が繰り広げる行動が子供の人生のルールになってしまう危険性があります。
そうやって育った子供が大人になったら、どうなるでしょうか。
自分の意見を思いつかない大人、言われた事しか出来ない大人、新しいことにどう対処したら良いかわかならない大人、自分の感情をコントロールできない大人、他人の気持ちを汲めない大人、キレやすい大人・・・。自分の事を棚上げして、他人の悪口を平気で言ったり、噂話やゴシップ話に日常的に花を咲かせれば、当然これらも子供にとってはお手本になってしまう可能性大です。 大声を上げれば思い通りになると勘違いする大人も増えるかもしれません。 もはや、大きな子供と変わらない、いや子供の方が良し悪しの分別があるかも。
自分自身に向き合い、謙虚さを持ち、学びを喜びに変え、生涯学習なんだと思えば、日々は新しい発見の連続なんだと気付けます。 気付いてしまえば、愚痴を漏らすことはなくなります。 愚痴や噂話、悪口などは全くもって無意味な事に気付くからです。
ところで、知能指数にも多様性が言われるようになり、IQやEQに留まらない程になってきましたが、先日人工知能の開発に携わる方との会話の中で、衝撃的な事を言われました。
それは、「大人になっても知能が低い人は残念ながら、治らない。親からの遺伝や、育った環境も大きく影響するが、修正が出来るのは小学生低学年まで。」という内容でした。親の所得格差は、そのまま思考格差となり、良かれ悪かれ子供に思考傾向が引き継がれていくのです。
良くも悪くも、親も親なら子も子ということです。 子供や孫がいらっしゃる方は、今一度、事実お手本になってしまっている自分の潜在意識と顕在意識について、学びを持つことを強くお勧めします。 結局は自分が作り出している世界が現実化しているだけ
なことに気付きますし、それが毎日の子供達のお手本になっているわけです。