朝起きてから、寝るまでの間、実に様々な決断に直面し、その都度意識無意識に関わらず物事を決めては行動しているはずです。 人は平等に二十四時間を与えられ、その決められた時間をどう過ごすかは個人に委ねられていますよね。向上意欲のある人は、どうにかして上達したいとか、達成させたいなどと考えながら時間を過ごしているのではないでしょうか。
ミルトンのスタッフと話をする中に、この「経験を重ねる」ことの重要性を毎度毎度トピックに挙げています。 それは単に経験をしなさいということではありません。経験は数ですか? それとも質を重視した方がいいですか?と問われれば、まず回数と答えるでしょう。しかし、一回一回の経験する最中、質を少しでも意識していくことがとても大切になると伝えています。
人の中には、数をこなせばなんとかなると考えている人もいると思いますが、経験をする上で、行動するからには何かしらの結果が生まれます。その結果が自分の思い描いていたモノと異なる場合、それを失敗と呼ぶ人がいます。そして思い描いたモノと違うからと、とった行動そのものを過ち、間違い、失敗作と決めつけ、もう二度と向き合いたくないと少なからず考えてしまうかもしれません。言ってみれば、経験を捨ててしまうのです。下手をすると、上手くいった経験まで肥やしにせず捨てる人もいます。
私はこの経験を捨ててしまうことが勿体ないと話しています。そして一つの経験をぺらぺらの一枚の小さな紙で例えています。 経験を捨ててしまう人は、このぺらぺらの紙を一回一回捨ててしまう人で、長い目で見た時に、何も自分の中に蓄積として残りません。
目に見える表面的なものや、人から聞いたことには敏感に反応するが、掘り下げることをしない人は、自分の中身をあまり見ておらず、世間体などを気にする傾向にあるように感じますし、新しい経験をすることに重きを置いているように見えます。
経験とは一枚の薄い紙を重ねていくように、積み重ねていくものだと考えます。 恥ずべき経験であろうが、大成功であろうが、とにかく積み重ねていくことが大事。 重ねていくことで一枚一枚の紙が少しずつ大きくなっていき、長年の価値ある経験を積み重ねた人は、人としての器がとても大きいのです。 話をしていても寛容さも威厳もあり、懐の深さを垣間見れます。あ~積み重ねて来られたんだなと感じます。
どのような経験であったとしても改善していけばいいじゃないですか! 恥じることはないですし、他人に何を言われようが、自分の経験のことなので、気にする必要もありません。
他人の目を気にしなくなった時、初めて自分のことが見えるようになりますし、経験をわざわざ捨てることが勿体ないことだと気付けます。 自分に向き合えるようになると、とにかく様々なシガラミから解放され、人が勝手に作った枠からも解放され、本当に自分が追い求め、積み重ねたい経験を得られるのではないでしょうか。