良くも悪くも自分の行いや発想が具体化し、進んでいくうちに自分に返ってくるのでブーメランと書いてみましたが、昔から面白い仕組みだなと感じていました。良い行いをしても返ってきますし、悪い行いをしても返ってくるわけですから、小学生の頃は神様が天から見ながら結果を落としてくるように思っていました。それこそ、子供の頃は特に悪さをした時は、直後にバツが悪そうに天を仰いだものです。そこに浮かぶのは神様ではなく、親の顔でしたけど。


”ジインジカ”は、生きていく上では全てのことに関連してくるのではないかなと考えています。結局朝から晩まで毎日何かしらの行動をしているわけで、それが自分に何かしらの結果をもたらすわけですから、なんだか面白く感じてしまいます。逆に朝から何もせず家でじっと寝ていても、何かしらの結果をもたらしてくれるわけですから、やっぱり面白い。


もし自分の行いが何もかももれなく自分に返ってくるのであれば、行動あるのみと自分は考えます。動かなければ、ただ時間が過ぎて変化が起こらなかったという結果がもたらされるわけですから、逆に動くことで何かしらの変化を作ってあげた方が進歩や進化をするのではないかという発想をしてしまいます。このことを強く自分の中で唱えるように信念としてもっていれば、動くべき時に行動しない手はないのです。


最近もスタッフと時間の平等性について話しましたが、万人には公平な時間が割り当てられています。平等に与えられてはいますが、それを活かすも殺すも自分次第。活かすのであれば、どういう方法で、どういう未来を描いて行動するのかで、将来自分へと返ってくる結果は変わります。スタートは平等でも結果は雲泥の差になるわけです。


ただし、誰しも過ちを犯すもので、選択のひとつひとつが毎回思っていた通りとはならないものです。上手くいっても調子に乗らず、謙虚にコツコツ進めていくことを大切にしたいですし、ミスや過ちを犯しても気分を一新して次のステップをすぐに踏む俊敏さも落ち併せていたいなと自分では思っています。それが限りある時間を無駄にしない方法かなと感じていますし、何より悔いがない生き方かなと。


また、選択肢のひとつひとつが人によっては全く逆の印象や行動かもしれません。それは人によっての正しい、正しくない、正義、悪が異なることから人によって選択肢は変わるわけです。もっと広い範囲の世間体というものを強く意識して、自分の行動を選んでいる人もいるかもしれません。それはそれで、本人が納得しているのであれば良いと思いますし、他人がどうのこうの言うことではないです。本人がその発言や行動に責任を持てれば良いし、どう転んでも納得できるのなら、それでいいじゃないですか。


正直、日本は世間体を気にして生きている人が異様に多い。気にし過ぎて自分を見失っているようにみえますが、それもその人の生き方と選択なのでしょう。それもまた自因自果となって、自分に何かしらの結果を残しているわけです。どうせ自分の人生で自分に返ってくることが分かっているのであれば、もっと自由に生きればいいと自分では考えていますし、今までもこれからもそこを変えるつもりはありません。最期死ぬときに、あ~楽しかった、面白かった、ジェットコースターのようにスリル満点の人生だったと思いたいですね。

コメント

ジェットコースターのスリル満点の人生、憧れます。

— 石田英昭