これは子育てにも、従業員教育にも通じると思いますし、なかなか悩ましいことかもしれませんね。 もちろん、自分自身にも言えるのではないでしょうか。他人は自分の思い通りには出来ませんから、唯一自由にコントロールできる自分に焦点を当ててみると、今回の話は実感しやすいかもしれません。
人は他人の悪いところは目に付き易いですが、肝心要の自分のことは分かりにくいのではないでしょうか。自分では無自覚のこともあると思います。 他人からの指摘で、ハッと気付けることが多いですし、そこに耳を傾ける為には、気持ちの余裕を持ち合わせていないと、反発して終わります。
よく言われる善悪、メリット・デメリットなどは、受け取る側の捉え方でどうにでもなると私は思っています。 何かを信じているからこそ、それに反するものは信じるべきでないと感じ、それは場合によっては悪だ!と勘違いしてしまうかもしれません。
何につけても、この「信じる」ということを行うと、大抵の人が相反するものに対して、それは違う!と感じるのではないでしょうか。
逆に何も「信じられない!」と思っている人もいると思いますが、これも信じることと同じように、「信じられない!」と信じているのです。 面白いですよね。
では、どうしたらいいのか? 簡単です。 「へぇ~そうなんだぁ。」と、受け入れるだけ。それも悲観的に受け入れるのではなく、そういうことなんだねと寛容に受け止めるのです。 慣れないうちは、すぐに反発してしまいますが、反発しているうちは寛容になりきれていない証です。 高校時代にキレ過ぎて付いたあだ名がニトログリセリンだった私が、こんなことをお話するようになるとは思いもよらなかったですが、寛容に受け入れることを会社経営で学びました。
一般的に不満を感じる人は自分で自分を生き辛くしている自覚がほとんどないでしょう。ありとあらゆる事において自分勝手に物事にルールを作り、枠にはめ、自分だけでなく、他人までをその枠にはめようとしてしまうなんて、よくあることです。
良いところや悪いところは悩む必要はないということです。悪いと思われることに対して寛容に対処できるようになれば、本来の自分にとって素直な部分が浮き上がってきます。 そこが自分にとって無理のない自然体で、自由な自分なのかもしれません。
まあ、私は無駄な経験なんてものはないとは思っていますが、時間は非情にも刻々と過ぎてしまうので、経験も選んだ方が自分らしさを楽しめるかなと思っています。
まずは悪いと思うところを寛容に受け入れるようにしながらも、より伸ばしたい部分に時間と力を割き、いつしかそれが悪いと思っていたことも覆いつくすようなイメージで進んでいけたらいいのかなと思います。
二0二一年が、皆さんにとって学びの多い年になりますように。 私も引き続き気付きを大切にしながら、日々を楽しみながら生きていきたいと思っています。