人の意見って大切だと思うんですよね。 特に親や身内など心配してくれて発言してくれたり、何か試みてみようと思っている時に、適切に後押ししてくれたり。 様々な決断を職場や家庭でしていかなければいけませんが、時には相談も必要ですよね。
人それぞれ意見があるので、賛否分かれるわけですが、賛成の声が大多数だったりする と、なぜみんなが賛成したんだろうと私は考えます。 そしてその賛成が、「あっ!いいん じゃない?」といった軽いノリの感覚で賛同したものなのか、体験や経験に基づいて賛成して くれたものなのかを考えます。こうすることで、自分に一旦ブレーキをかけたいわけで す。
考えて問題がなければ、とりあえずやってみるのが私のやりかた。 反対の声というのは、これも同じように直感のような判断でされたり、時には経験則から 反対もされるわけですが、少し困るのは、一般的ではないという理由での反対。 私が聞きたいのは一般論ではなくて、相手の考えなので、一般論と一緒に個人の意見も教 えてくれると更に勉強になります。 常識、または世間というものは曲者で、個人によって 內容、対象、範囲など全てが異なりますからね。
賛成とも反対とも言わない第三の意見というのもありまして、日本では波風立てない、 本音での意見交換を言い争いと捉え、本音トークを避ける習慣が比較的強くあります。 自分の意見を素直に口に出さない人が多いなと感じるわけです。 口に出さないけど、 思うことはあるのでしょう。 あるけど言わないのか、本当に考えていないのかさえもわからない。
これでは会話にならないばかりか、相手の意見だけを聞くだけのずるい人だと勘違いされてしまいます。 口に出して解決した方が時間的にも効率的にもいいと思いますし、言わないのは意見がないと思われても仕方ないわけで、結局損をするのは言わない本人(人、組織、国)だった りします。
他人同士、意見が違うのは当たり前だと思うんですよね。 それを前提に本音トークをしても、本音で話さない人は、会話自体を放棄していますし、 コミュニケーションを大事にしていない人だと私は感じます。 会話への本気度合いがそこで バレます。 本人のいない場所で裏口を叩く人もいますが、これはもう論外です。
知らないから話せない!ではなくて、知らない事があれば、教えてもらえばいいし、知ってい れば仲間と共有すればいい。 知らない事を恥じることは全くないです。 現に私なんか、 コーヒー屋なのに、コーヒーについて知らないことの方が多いですが、それが恥だなんて思った ことはありません。 むしろ、まだまだ学ぶことが多くて面白いな~と思うぐらいです。
本音でガツガツ話していける仲間とこれからも成長していきたいですし、その先に私のw 求めるものがあります。 自分の都合の良い時だけ「建前」を盾代わりに生きていくのは 程ほどが良いかもしれませんね。 特にこれからの世界では。