遅い夏休みを頂いたので、三カ月ぶりに香港に行ってきました。 前回は乗り継ぎの為、 一泊しかできず、現地の友達の一人にしか会えませんでしたが、今回は三泊できると いうことで、ダイスケが来るぞと高校時代の友人が集まってくれました。

オーストラリアの田舎町の全寮制中高一貫校に在学していた仲間たちですから、同じ釜の 飯を食った仲ということになります。 十五歳の大反抗期真っ最中だった私は家族も手が付けられないぐらい暴れ、本気か冗談か それが原因でオーストラリアに送られたと後になって聞きました。

理由は何であれ、全く 英語が話せない状態でも、エネルギーが有り余っているわけですから、人種構わず喧嘩を よくしました。 高校卒業するまでの間、喧嘩こそ少なくなりましたが、相変わらず血の 気は多く、こんな私を友人たちもよく温かく見守ってくれていたなと思います。

今回の香港で集まった仲間たちに、勉強が大嫌いだったことを告白し、勉強する意味や意義 が理解できなかったばかりに、時間の無駄だとしか思えていなかったことを打ち明けました。 日本で過ごした中学校では英語と美術にしか興味が湧かず、オーストラリアの高校では、 関心のあった生物学、製図、金属加工、木材加工にしか集中することができませんでした。

更に大学に入ると興味の偏りが悪化し、自然と面白味を感じた経済学と統計学、そして 少しばかりのアジアの歴史の授業しか記憶に残っていません。 ご覧のように興味に一貫性が ないばかりか、単純に落ちこぼれでした。 社会に出てからの武器がないのです。 香港の友達の方が遥かに優秀な成績を収め、四十歳を過ぎた今もそれぞれが輝いていま す。

彼らがこうなることは予測できていましたが、私に至っては明確な未来像も見えず、 勉強する意味も分からず、不安の嵐が下腹のあたりに絶えず暴れているような感覚のまま 過ごしていたことも打ち明けました。友達の一人が、誰も好き好んで勉強していたわけじゃ ないよ。

大人たちを見て、少しでも上層階級に近づけるように勉強をしていただけだよ! と返事をくれました。 正直な意見だと思います。 幸いなことに、「諦め」という言葉が私の辞書にはない為か、全く根拠のない自信だけが昔か らあり、きっと何をやっても上手くいくだろうとしか考えられない奇特な脳みそのおかげ で、同じく「諦め」という言葉が辞書にない昔の仲間達と、こうしてワインを美味しく飲めて います。 有難いことです。 私一人では今の自分は、存在していないと改めて感じた旅でした。