コロナ禍の前のことが懐かしく思える程になってきましたね。 そろそろ戻るかね?といった会話も聞かれますが、私が思うに元通りには戻りはしないでしょう。人によって今回の自粛生活で感じることは様々でしょう。それこそ一人一人違う捉え方をしていると思われます。色んなことに気付き始めた方もいるでしょう。
 
モラルの低下や気性の激しさ、不安症が増すケースが増加しているのも、その一つかもしれません。ピンチの時にどう咄嗟の行動をするかが、その人の人となりを表しているとみています。特に未経験で未曽有の事態となると、個々の「胆力」は間違いなく試されます。肝が据わっていれば、例え準備が整っていない状態でも慌てずにすむものです。 常日頃から胆力を養っておくことが大切です。
 
ではどうしたら胆力というものが身につくのか。私は常日頃から物事の予想や想像力を働かせる癖、そしてそれに基づく行動が大切だと感じています。 当たり前だと思っていた事が、当たり前ではなくなると、誰でも困ってしまいます。 そこで驚きの大衝撃を受ける前に、疑似的に衝撃を生み出して、事前に準備をしておくのです。
 
例えば、コーヒーの市場価格が暴騰したらどうしよう、従業員が全員同時に出勤出来ない事態になったらどうしよう、自分が急死してしまったら、残された家族や会社はどうなってしまうのだろうなど、起きていない事態を予想し、準備しておけばあらゆる事態の心構えが出来ます。
 
また、胆力とはまた別に試されるのは、「共感力」ではないでしょうか。 その名のとおり、人に寄り添う力もまた今特に必要とされているのではないでしょうか。 この共感力がないばっかりにネット上に心無い書込みをしたり、罵声を浴びせ、最悪事件に発展してしまっているわけです。 何事においても深く考えずに発言または、行動してしまうと、結果的に悪影響が出てしまうことは多々あります。 
 
日常生活ではこの何気ない、些細な事への共感力がとても大事になってきます。 暴力はもってのほかですが、言葉も十分な凶器になりうる事を認識しておくべきです。私も学生の頃から短気でしたので、何とかこの短気を改善したくて、共感力を高める為に熟慮してきました。経営者としても、父としても、一人の人間としても、そこは絶対に欠けてはならない要素だと自分に課しています。 
 
共感力を高める方法は、これまた予想と想像が役に立ちます。こうされたら嬉しいかな、嫌な気持ちになるかな、役に立てるかななどと予想し、相手に合わせた発言や行動を起こせるかが大切です。とにかく予想と想像、行動の繰り返しで「胆力」、「共感力」共に養われていく気がします。
 
人は他人です。我が子でもあっても他人です。私物ではありません。 一個人として見なければいけません。尊重しなくてはなりません。そこを前提として接することで、お互いの相違は当たり前と考え、どうしてそこに至ったのだろうと考える癖が出来ます。他人は他人なんだから、何しても良い!ではなくて、他人は他人なのだから違って当たり前。 
 
そこを面白がり、認め合い、改善しあい、感謝しあい、上手に人付き合い出来たらリアル社会でもネット社会でも問題は減ると思うのですが。