私の見解ですが、自信がないケースは大きく分けて二パターンあるように感じています。
一つ目のパターンは、未経験、もしくは経験が浅いことによる不安や恐怖から発生する自信のなさです。脳は知らないことや未経験のことには不安を感じやすくなっているので、一種の拒絶反応が起こり、冷静な判断が出来なくなるので、不安材料に直接関わらないものまで、まるっと一括りで、あぁもう無理だ!と判断しようとしているケースが多いように見受けられます。
小学生ぐらいの子供から始まる苦手意識もそのいい例だと思います。 幼児期は危なっかしいことも何でもしてしまうのに、年齢が上がれば上がるほど未経験ゾーンに対して尻込みする傾向が強まっていくのです。私も自分の子供に、自信が見られない時に不安を取り除く方法を話を噛み砕いてしてあげています。
もう一つのパターンは、過去の経験が原因で自信が持てなくなった場合の方法ですが、まずは原因が何だろうと興味を持って探っていくところから始まります。原因は最近の出来事かもしれませんし、幼少期の出来事かもしれません。一種のトラウマのような出来事に蓋をしてしまっている可能性もおおいにありますので、勇気をもって自分の過去に向き合うことが重要だと考えます。
ある程度、自分の中の自信について理解してくると、とあることに気付き始めます。「そもそも自分らしくいる事に自信って要るのかな?」と。それよりも達成したいことをコツコツと改善しながら続け、成功体験を積み重ねる方が成長でき、ゆくゆくは「自分の自信」というものよりも、「自分の納得」の方が大切に思えてくる気がします。
自信をつけようとアレコレ取り組むより、そもそも論から入って先回りして動いた方が先に進めるのではないでしょうか。自分自身で自らの感情を紐解くことが出来れば、平穏でいられます。
「自信」とは、広辞苑によれば「自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどをみずから信じること。また、その気持ち。」とあります。自分に自信がないということは、自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどを自ら信じられないということになります。
自信をつけると、その一時は安心に繋がるかもしれません。しかし、すぐに他のことで自信を無くす場面に直面するでしょう。果たしてその繰り返しが建設的な行為なのか・・・疑問が残ります。
堂々巡りを繰り返すよりは、自信を持つこと自体に意識を向けるのではなく、課題を明確化し、克服できるように繰り返し訓練なり練習なりをすることの方が結果的に近道のような気がします。「木を見て森を見ず」 に陥らないように、一歩引いた目線で物事を俯瞰できるようになると、何が大切で、何がそうでもなかったと気付けるはずです。熱くなっているのであれば、冷静にもなる必要が出るでしょう。 自信をつけることに意識をし過ぎてしまうと、気付かないうちに過信に繋がる危険性もあります。
本当に優れた人は謙虚で努力を惜しまず、傲慢な態度とは無縁のように思いますが、皆さんはどう思われますか。